朔の光と風と瞑目(阿部栞)
目には見えないモノ、カタチの無いモノ。でも確かにそこに在るモノ=c。 感情や思い出、個性、能力、記憶、そして言葉、等々。それらには手で触れられるような実体はない。だか、私たち自身の内に確かに存在している。 例えば、日常生活に欠かせない、言葉。言葉には紡がれた瞬間、その一つ一つに命が吹き込まれ言霊≠ェ宿る。よく「言葉にすることで実現しやすくなる」といった話を耳にしたことはないだろうか??「大丈夫」「できる」などと自身に唱え言い聞かせることで力の源となり、いざという瞬間を切り開いた経験をしたことがある者も少なくはないだろう。 それほどまでに言霊≠ノは、目には見えない不思議な力が宿っている。それ故に、使い方によっては、最強の刃にも無敵の甲冑(かっちゅう)にも善にも悪にも姿を変える。同じ言葉であっても、意味合いが変わることだってある。 私はラジオという仕事柄、音≠ニして言葉を紡ぐことが多いが、今回のように文字≠ニして紡ぐこともある。 時に、聴き手や読み手によっては、私が伝えたいと思っていることと、異なる解釈をする者もいるだろう。…ふと思う。伝える≠ニいう使命を持ってその瞬間瞬間に生み出される言霊たち。生み出した者の届けたい想い≠フままにその言葉が伝わった時、初めて意味≠持つ。つまり、伝わらなければ死んでいるのと同じなのでは、と。日々飛び交う言葉の中にはきっと本来込められた想い≠ニして伝わることなく消えていったものもたくさんある。ならばせめて私自身が宿したものだけでも、この世に生まれ生きた言霊たちであれと願う。 感情や思い出、個性、能力、記憶、そして言葉、等々。目には見えず、カタチもない。だが、それらは確かにそこに存在し、常に私達と共に在る。いつの時代も、誰の傍らにも。継がれ継がれて今日に至る。 そして私は時折思う。最後に残り、残せるモノとはきっとカタチのないモノ≠ネのだろうと。