「言葉より大切なもの」(青木絵美)
「くたばりやがれ!くそじじい!」 大変不快な言葉からの始まりにまずおわびを申し上げたい。わざわざ書いたのにはちゃんと理由がある。これは、ある物語で私が涙を流すトリガーとなった言葉なのである。 言葉の主は、老犬の金太郎。飼い主のおじいさんは子犬の頃から金太郎に「くたばれ」と声を掛けていた。口が悪いのは性分なので仕方がない。ただ、誤解しないでほしいのは、その言葉の真意だ。おじいさんは年を重ねるほど周りに先立たれる寂しさと悲しみを感じてきた。年老いてから飼い始めた金太郎に、自分が先立つことで悲しい思いはさせたくないと、だから安心して先に逝けと声を掛けていたのだ。 実は金太郎は犬にとりついた宇宙人で、地球征服を企んでいたなんていう側面もあるのだが、最期の時を迎えた金太郎はそんな野望よりもおじいさんの友人として生きていたいと願うようになった。おじいさんという友人を遺してはいけないと必死に生きていたのだ。おじいさんもまた、最期の時が近づいていた。汚い言葉でののしり合っているように見えたがその実は、お互いを思いやっていただけ。自分が見送りたい、だから先に逝ってくれと、ただ愛を叫んでいただけだったのだ。それが冒頭のせりふだ。簡単に説明しただけなので伝わりにくいかもしれないが、最初に感じた印象とは違う言葉のように聞こえないだろうか。 言葉とは不思議なもので、どんなに本当の気持ちを言葉にしても信じてもらえないことがある。何度も何度も自分の思いが反対の意味に捉えられることを経験すると、言葉を使うことが怖くなった。伝えることをもう諦めたくなった。そんな時に聞いた金太郎の言葉。その言葉だけならただの暴言なのに、こんなにも胸を打たれたのはなぜだろうか。それはきっと、言葉の裏側にある金太郎の思いが伝わったからだろう。言葉以上に大切なものは、思いなのかもしれない。心を言葉にして、その言葉を声にする。そうでなければきっと、何も伝えることなどできないのだろう。