「蛙の子は蛙!?」(松浦美穂)
夏休みも3週間が過ぎようとしている。昨年は新型コロナウィルスによる一斉休校の影響で、2週間に満たなかった夏休み。まだまださまざまな制限はあるものの、例年通りの夏休みが送れることに親としてホッと胸をなでおろしているところである。 そして、通常の夏休みにはつきものの、見て見ぬふりをしてきた宿題という現実にもそろそろ向き合わなければならない時期に来ているのではないだろうか。 私はいつも追い込まれないとできないタイプで、毎年のように夏休み最終日は、半泣きで宿題を片付けているような小中高校生であった。ドリルやプリントのような決まった宿題をこなすのはまだいいのだが、1日では終わるはずのない「自由」という名の研究や工作、作文に読書感想文。1カ月以上あった夏休み。一体私は毎日何をして過ごしてきたのであろうと自分で自分を呪いたくなる。 これは生まれ持った性格なのか、私は完全に学習しない女であった。多少は先を見通すことができるようになった今は、さすがにある程度計画的に動けるようになってきた。この原稿だって、何度か添削はしたが、最初に書き終えたのは7月中である。 先日初めて、中学1年生になった長女の三者面談へ行ってきた。長女は、とても独創的な子で、特に絵やデザイン、工作や制作、裁縫、音楽など「受験科目以外」が得意な娘だ。そこは中学でも発揮できているようで、認められ、自分のポジションを確立しているようであった。しかし、提出物や宿題が時々出ていないと指摘を受けた。親としては、申し訳ない気持ちになる。 娘は、好きなことに対して、ものすごい集中力を発揮するのだが、そのまま勉強に生かせるかといえばそうはいかず、勉強となるとすぐ飽きてしまう。何度注意しても毎朝ギリギリに起きては、やっつけで宿題をこなしている姿を怒鳴りながらなんとか登校させるのが毎日のルーティンだ。自分の娘とはいえ、娘は一人の人間であり、私ではない。しかし、よくよく自分の半生を振り返ってみると、やはり蛙の子は蛙なのかもしれない。こればっかりは娘を信じるしかないと思う親目線での夏休み後半である。