「コラムがつないだ最期の思い出」  (松浦美穂)
2年に1度、私に司会の仕事を依頼してくださるご夫妻がいる。
ご夫妻とは20年近いお付き合いになるが、日常的にお会いすることがなくなった今も、大切なご親族の結婚披露宴の司会など折に触れ、私のことを信頼し、いつも任せてくださる。
9月中旬、その「2年に1度」の依頼を頂き、久しぶりにお会いできた。奥さまは変わりないように見えたが、ご主人の方は、数年前からがん闘病を続けており、ここ最近は調子を落としているということであった。お会いしたご主人は元々中肉中背だったがさらに痩せており、そんな中でも無理のない範囲で、当日の運営に携わっていらした。
昨年よりコロナ禍ということでたくさん会話を交わすことはできなかったが、ちょっと元気はなかったものの、いつもの甲高い、仙北地域のイントネーションで「美穂さん、久しぶりだね〜。そうそう。職場で取っている『石巻かほく』で見たよ〜、美穂さんのコラム。写真も載ってたがらさ〜。ウチ(奥さま)のにも見せっと思って〜」と話してくれた。
このコラム、初回の時に写真付きプロフィルを載せてくれたのだが、いわゆる宣材写真、最近だとアー写(アーティスト写真)と呼ばれるその写真はもし私が今亡くなったら、遺影としてこの写真を使ってほしいと言っているほどお気に入りの写真でもある。しかし今よりもだいぶ痩せていた頃の写真であり、今の姿とはちょっと、いやだいぶ懸け離れてきているのも事実である。ご夫妻もさぞかし苦笑したことであろう。
10月下旬の夜遅く、私のスマホのラインが鳴った。それは珍しく奥さまからだったので、何だろう?と思い開くと、ご主人が旅立たれたというお知らせであった。まだ50歳前後の働き盛り、お子さんたちは高校生である。エッ!? だってこないだお会いした時は元気だったじゃない! あの優しいご主人にもう会えないの?というショックと同時に、残されたご家族のことを思うと、どれだけ深い悲しみの中にいらっしゃるだろうかと胸が痛んだ。
まだ私は、ご主人の御仏前に手を合わせることができていない。きっとご主人の遺影は、優しさがにじみ出た笑顔のお写真を選ばれたであろう。近いうちに伺おうと思っている。(パーソナリティー・松浦美穂)